中学受験終了組ののびこ母です。お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
今回はサピのテキストとの戦いを振り返る回。
選択のパラドックス
行動経済学の有名な理論に「選択のパラドックス」というものがあります。
「選択肢が多いと得をしたような気になるが、あまりにも多くの選択肢があると、人は選ぶことが困難になる。心理的な負担を感じ、やがて無力感が生まれ、結果的に満足度が下がる。」
床に積み上がっていくサピのテキストを前に、この理論が幾度も私の脳裏をよぎったものです。
果たして多くの「選択肢」が与えられるサピのテキストは「得」なのか。
「さすが高い授業料に見合う問題量。素敵。まさに選り取り見取り。」と腕まくりをする親と子は存在するのだろうか。
この選択肢の多さはむしろ多くの家庭に不幸をもたらしているのではないかと問うてみたい気がします。
テキストとの戦いはまるでチキンレース
まわせまわせ。
常に走り続けろ。
立ち止まるな。
さあ、どこまでいける?
サピのテキストとの戦いは私にとってこんな感じでした。
常に追われている。
ちょっとでも休んだら、テキストが限界の処理容量を超えてしまう。
うっかりため息でもつこうもなら、「無力感」が心にしのびよってくる。
いったん無力感にとりこまれると走れなくなるから、「いかんいかん。運が逃げる」と自分を鼓舞する。
そして、走り続ける。
中学受験界における絶対王者サピのテキストは「業界No1」だそうな。
「秀逸」な課題が常に目の前に用意され続ける。
もはや無限地獄のわんこそばかと思うほどに、やろうとすれば果てしない。
それは私にとって常に「選択」を突き付けられることと同義でした。
「やるか。やらないか。やったほうがいいか。これも大事か。あれも大事そう。だけど時間がない。これはナシだ。あれもナシでいいか。闇に葬ったものはなかったことにするのだ。目の前の課題に集中しろ。」
火曜日のテキストを仕分けして、コピーして、すぐに木曜日にテキストが来て、コピーして、土曜日にどんときて、コピーして、日曜日にどさどさっときて、そしてまた火曜日が来て・・・。
「後でやるボックス」にツッコんだとて、「時間があるとき」など永遠に訪れるはずもなく。
エンドレスぢゃ~ん。
もう、オイラ、泣くわ。
泣くしかないわ。
サピックスの厳しさは聞きしに勝る
我が家は転塾組ですが、宿題について資料に書いてあったり、保護者会で説明されたり、困った時は教科の先生に電話で相談できるのはサピも前の塾も同じでした。
学校行事等のスケジュールから勉強に充てられる時間を割り出し、その週の教科、さらにのびこの得意不得意に合わせて学習を組み立てるのも同じです。
けれど、サピックスという塾はその「秀逸な」教材が到底こなしきれない量であるだけに、親の判断に委ねられる部分がとても大きく重かった。膨大なテキストの何をやり、何をあきらめるのか。
「テキストが当日配布」なのはもちろん覚悟していたけれど、サピの厳しさは私にとって「聞きしに勝る」でした。
子がテキストを持ち帰ってきた瞬間に、親の仕事が始まるのです。まわしていく量が膨大で、とにかく時間がない。その時間がない中で、次の授業までに何をやり、何をあきらめるかの判断をしていく。その繰り返しが延々と続く。
転塾組で不慣れだったこともあり、我が家の場合は先生の指示だけでは家庭学習はまわりませんでした。
親の裁量に委ねられる部分が非常に多く、親の能力や経験値がそのまま差になりそうなプレッシャーがありました。
そして、そのキツさは6年生の直前期にMAXになりました。
という話を次回。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
↑ よく受験勉強の合間にのびこのハンドマッサージをしました。