中学受験終了組ののびこ母です。お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
のびこにサクラが咲いた日。私の胸にこみあげたのはただただ安堵。そしてサピについてのこんな思いでした。
サクラが咲いた日のこと
「のびこ、やったよ。やりとげたよ。」誇らしげなのびこ。
「あった。あったよ。のびこ、やったよ。」 興奮で震えるのびこ父。
「よかった。ホントによかった。」へなへなと座り込むのびこ母。
そして、安堵の後にこみあげてきたのは「サピはこわい塾だった・・・」という思いでした。
直前期におりてきた予感
私は今でもSAPIXという塾をどう評価していいかわからずにいます。
転塾前に予習シリーズで培った基礎の貯金で逃げ切った気もするし。
サピで鍛えられたから1日校に合格できた気もするし。
「このままだと全滅する。可能性があるとしたら2月1日校だけだ。」という確信に近い予感が不意に強く強く「おりて」きたのは6年生の12月のこと。
「どうしよう。こんなにいろんなことを我慢させて勉強させてきたのに、いっこも合格がとれなかったら、どうしよう。のびこ、こわれちゃったら、どうしよう。どうやって責任を取ったらいいの。」
私がこのレールに乗せたのです。
のびこが自分で「中学受験する」と言ったとしても、それは私が言わせたのです。
小学校生活のいろいろなことを我慢させて、明らかにキャパオーバーなことをやらせてきた結果がつらいものになったら・・・。
不安でたまらず受験校の組み方を再度相談した校舎の先生には「お母さん、この組み方で3日の午後ってどういう場合を想定していますか。大丈夫ですよ。」と笑われました。面倒くさい親で、先生、ごめんなさいです。
けれど、どうしても拭い切れない不安が私にはありました。決して楽観視できない状況に思えて仕方がなかった。
「ひとつしか受からなかったね」
中学受験が終わったある日、トド2号と化していたのびこがふと思い出したように言いました。
「でもさママ、柱にしていた学校には結局ひとつしか受からなかったね」
「受験は行きたい学校の合格をひとつとれば大成功なんだよ。行ける学校はひとつなんだから。」とのびこに返しながら、その「ひとつ」の合格のありがたさを私はただただ噛み締めていました。
そう。のびこの場合はその「ひとつ」が第1志望だったので、我が家の中学受験はめでたしめでたしになっただけのこと。
のびこと私の間には、2月1日校を某御三家校から変更した時に「これからも気を緩めずに頑張っていこう。ここはとろうね」と約束した学校があったのですが、紙一重の幸だったのだと改めて薄氷を踏む思いがしたその結果は私の予感の通りであったのです。
そして、「長くかからずに終わるからそんなに心配しなくていい」と仰ったサピの先生も確かにまた合っていたのです。
まったくの杞憂だったのか否かはわからない
のびこの場合、データ上は「順当な合格」であり、典型的な「安全志向」であり、サピの先生のおっしゃることはもっともなのです。不安を募らせていたのは私一人です。
けれど、結果を鑑みるに、私のそれはまったくの杞憂ではなかったようにも思えてしまう。
団塊ジュニアにして氷河期世代を生きてきた私は常々、試験には「データとしてあらわれる前に本人(とその近しい人)だけが感じる兆しのようなものがある」と思っています。「まさかの合格はあっても、まさかの不合格はない」のだと。
直前期、砂上の楼閣に立っている気がしたあの感じ。土台がグラグラの家に立っている気がして、本当にこわかった。
基礎が中途半端なまま、できない応用問題が積み重なっていくこわさ。
毎日やっているのに、たださらさらと指の隙間から時間がこぼれていくこわさ。
まったくの杞憂ではなかったと今も思えるし、もし私のすべてが杞憂なのだったとしたら、それは多分、精神的にかなり追いつめられていたからなのかもしれないと思います。サピのその「選択肢」の多さゆえに。
nobikotohahanonasebanarublog.com
長くなったのでいったん切ります。続きは次回。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。