中学受験終了組ののびこ母です。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
私の場合、「親のサポート」にまつわる悩みは大きくふたつありました。
ひとつは「自分で考えられない子になったらどうしよう」という悩み。
もうひとつは「親のサポートで下駄を履かせたクラスで子が授業を受けることは正解なのか」というもの。我が家の経験をまじえながら考えてみました。
親のサポートによるクラスのミスマッチ問題
親のサポートの結果、子が塾の上位クラスになり、授業がわからない時、親はどうするのが正解なのか。私も迷い、塾の先生に相談しました。
ある時は「上位クラスの子はほとんどそうですよ」と言われ、ある時は「家で教えるのが当たり前になると子どもは塾でわからなくても親に聞けばいいとなる。集中力が下がる。」と言われました。
そのたびに「どちらがいいんだろう。でも・・・」とぐるぐるしました。
思考パターン其の壱
この状況は確かによくない。だけど、親がサポートしないとあっという間に詰む。中学受験をすると決めたからには親も覚悟を決めてサポートしよう。でも、考えられない子に・・・以下前回記事参照。
思考パターン其の弐
親のサポートレベルを下げれば、一時期、確かに子のクラスは下がるだろう。が、相応のクラスで授業を受けることで子自身の理解力がつき、長い目で見ればプラスになるのかもしれない。
でも、「クラスによって授業中に扱う問題が違うから、いったん下のクラスに落ちると追いつくのがむずかしくなる」って受験本に書いてあったぞ。どっちが正解?
でも、見守っていたら授業を理解できるようになる?それで間に合う?
のびこ家の場合
私はぐるぐるの末、「のびこの成長を待っている間に入試が終わってしまうわ!」とちゃぶ台返しして、全力で親サポートし、塾のカリキュラムについていく方を選びました。
子が自分で授業を理解できるようになるのを待つとして、その間、理解せずに進んだカリキュラムと時間、上位クラスが進んだ分はどこで取り返せるのか。それはいつなのか。それで間に合うのか。
中学受験の間は視野が狭くなるのを前提に極論を言うと、撤退することも覚悟してそうするか、親が精いっぱいサポートし続けるかの二択のように思えたから(←振り返ると、これこそが偏差値にとらわれた親の思考。でも・・・。このループは自覚済み)。
「親塾」3形態(のびこ母調べ)
子の成長あるいはカリキュラムの難度が上がるにつれ、親塾のかたちや効果も変化します。
- 子が自分で理解するようになる。
- 親がサポートを続け、最後まで成績を維持する。
- 親がサポートしきれなくなり、子の成績が下がる。
もちろん1が理想。自転車の練習みたいな素敵パターン。2も並大抵ではありませんが、3がいちばんの悩みのもと。
我が家をまとめると【3と2の間にしがみついているうちに、時々1が出現するようになり、どうにかこうにかたどりついた】パターン。
ちなみに最初の「ママ塾の限界キター!!!」はのびこ小5の春のこと。「ヤバい。このままだと破綻する」ととめどなく落ちていくようなこわさがやってきました。
親のサポートの正解はない
親のサポートについて自問自答すると負のループにはまっちゃうことが多いです。
でも「親のサポートで下駄を履かせたクラスで子が授業を受けることは正解なのか」と悩めるうちは親がサポートできているということ。
いつかは親がサポートしきれなくなる時がくるかもしれない。
でも、そうなったとしても、そこまでがんばったことは子の力になっている(はず)。
なので、この件についてのびこ母が当時のぐるぐるの自分に言うとしたら。
「正解は白か黒かじゃないよ。撤退しないなら悩まずに進め。それができるうちは。」
「適度」な親のサポートで塾の授業についていければいちばんいいのだけれど、今の中学受験の現状はきびしすぎる。そうできる子がたくさんいるなら、こんなにも悩んでいる人が多くないだろうというのが実感。
おまけ-のびこ家の答え-
タイトルについての我が家なりの答えみたいなことをひとつ付け加えると、ムリをしたことで得たものもありました。
私がのびこを上のクラスに押し込んだことで、のびこも私も大変だったけれど、この経験が悪かったかというとそうとはいえない気がするのです。
むしろ早い段階で、最上位クラスを知ることができたから、親も子も最後まで頑張り切れたのかもしれないと思う時があります。
塾に通うようになると、子は新たな価値観-成績によるランク付け-を初めて強く意識します。多分、習い事などよりずっと強烈に明確に。
他人からの評価も相まって、自分の中にプライドが形成されていき、成長するにつれ、それはさらに強くなっていきます。
それが「意地」になって、最後の最後、のびこを支えたのかもしれないとも思うのです。
最終的に中学受験って「人間万事塞翁が馬」の境地に至ると思うのびこ母でした。
まとまりのない記事ですが、ちょっとでもどなたかの思考の整理のお役に立てたらうれしいです。